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2011年3月31日 (木)

「寒き世に」  編集手帳より

毎日報道される辛いニュースに心が痛み、
私達が明るくならなければ被災者の方々に
応援が出来ないと思いつつ、
原発事故の終わりの見えない状況が
いつも心のどこかにひっかかっていて、
漠然とした不安を感じてます。

ところで、我が家で購読している読売新聞の一面下部に
編集者の方が書かれる「編集手帳」という欄があります。

いつだったか避難所で赤ちゃんが生まれたという
報道がありましたが、今朝はそれについての記事でした。
(著作権?は分かりませんが)全文紹介させてもらいます。

◆生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。

    〈寒き世に泪そなへて生れ来し〉     (正木浩一)。

君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。
列島におびただしい泪が流れた日である。

震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。
被災者の女性たちが手を貸した。
停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、
へその緒を裁縫用の糸でしばり、
君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという。

男の子という以外、君のことは何も知らない。
それでも、ふと思うときがある。
僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと。

日本人の一人ひとりがあの地震を境に、
いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、
少し涙もろくなった新しい人生を歩み出そうとしている。
原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、
「寒き世」は「あたたかき世」になる。
する。

どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう。

原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、
日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。
名前も知らぬ君よ。
たくましく、美しく、一緒に育とう。

               (2011年3月31日   読売新聞)

以上です。
ざわざわしてる心の波が静かになりました。

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2011年3月19日 (土)

一週間後の満月

あの大惨事から今日(18日)で、一週間経ちました。

今の私に出来る事は節電と、地区別に割り当てられた停電で
少しでも消費電力を抑えるのに協力する事。
そして僅かながらだけど義援金。

月曜から始まった3時間程度の停電(日によっては2回→6時間)、
被災地のニュースを見る度に、これしきの不便は
なんの事もないと思います。
一日も早く救援が届き、復興に向かうよう応援していきたいです。

ただ、追い打ちをかけた原発の事故は不安で不安で。
朝、目覚める度に今日こそは良い方向に向かっている!と
祈る気持ちですが、思うように進展してません。
息子には深刻にとらえ過ぎないよう、
理論的な説明もしてもらったのですが…。

でもやはり、被災地への思いと、原発への不安、
そして変則的な停電スケジュールで気持ちが塞ぎ、
食事もなんとなくおざなりになってました。

そんな気持ちでいた今日の停電は3時50分から7時まで。
主人は出かけていたので、、
完全防備に着込んだ私は一人家の中。

少しでも明かりがとれるよう、相当暗くなっても
カーテンを開けておいた窓から、
煌々とした満月が見えました。

          A

しんと静まり返った家で、冴え渡った月を見てるうちに
…、急に空腹を感じたのです(笑)。

停電になる前に作って厚い布に包んでおいたお握り、
それを月の明かりを頼りに(電池をもたせるように
なるべく懐中電灯は使わない)、一つ手に取り
ラップをほどいて口に入れました。

海苔も巻いてない昆布だけの冷めたお握りの美味しかったこと…。
お米の甘みをゆっくりと噛みしめ、心が元気になっていくのが
はっきりと感じられました。

          B_2

          

大丈夫…。
道路がやっと開通して、応援がどんどんやってきている!
世界中が日本を応援してくれてる。
被災地は立ち直れる!
原発事故も治まる!
日本は立ち直れる!

悲しみのパワーよりも、力強い応援のパワーを送ろう!
月の光がそう言ってるように、私には思えたのです。

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2011年3月12日 (土)

自然の猛威

11日午後2時46分、国内観測史上最大という巨大地震
「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。

テレビのニュースで映し出される映像は、
いまだかって私達が見た事のない凄まじい光景でした。

群馬県南部の私の町は地盤が強いという言い伝えがあって、
あまり大きな揺れはこれまでなかったのですが、
今回は想像も出来なかったほどの強い揺れで恐怖を感じました。

我が家は丁度仕事中で、3m近い高さの鋼鉄の機械が動いてましたが、
それの上部が右に左にグワングワンと大きく揺れたんです。
歩くのもままならず、一瞬、あぁ、これに潰されるのかなという思いが
脳裏に浮かびましたが、幸い何事もなく無事に済みました。

被災地では甚大な被害者数、原子力関係の事故、
まだまだ余震は絶え間なく続き、更には発生地域も
拡大してます。

テレビニュースを見ながら、一分一秒でも早く
この地震が終結するよう、そして被害に逢われた方々の
救済に少しでもお手伝い出来ればと願ってます。

実は、私の亡くなった母は小学校に入ってすぐに
横浜であの「関東大震災」に遭っているのです。
その時の様子を聞いた事がありますが、
それは悲惨なものでした。

母親(私の祖母)が東京に出かけていたので、
お手伝いさんが学校まで迎えに来てくれたそうです。
その人に手を取られて帰宅しようにも、
周りの家並みはことごとく崩れ落ち、あちこちで火の手が上がり、
とにかく安全な場所に逃げなければと、瓦礫や、
折り重なってる亡くなった人達を跨いで二人して必死で
走り続けたそうです。

猛火の暑さから逃れようとたどり着いた河には、
沢山の遺体が流れていて…、幼い母にはそれが
地獄絵のように見えたことでしょう。

当時父は岐阜に住んでいましたが、目の前の長良川が
あれだけ東京から離れてるにも拘らず、水面が
ざっぱ~ん、ざっぱ~んと大きく波打っていたのを
覚えていると言ってました。

そういう事を両親から聞かされていたので、
私は地震に対する恐怖は人一倍と思っていたのですが、
今回の事で、いかに自然の猛威が大きいか改めて
思い知らされました。

もうじき地震発生から丸1日経とうとしてます。
津波警報、注意報が少しづつ解除されてきてますが、
その他の危険な事故はまだまだ監視状態です。

ただただ、この事態が早く治まるよう願うばかりです。

最後に心配して連絡くださった方々、有難うございます。
お心遣いに感謝してます。

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2011年3月 7日 (月)

甥の旅立ち

最近やっといくらか暖かくなってきたと思ったら、
なんと今日は都心で雪!
群馬の田舎町でさえ、雨だったのに
まったくオカシな天気です。

でも先週の土曜日(5日)は、春らしい暖かくて気持ちの良い日だった。
その春風の中を、主人の甥がロンドンにある
有名な料理店で働けることになって旅立っていった。

甥のことは、以前結婚した時に紹介したが
更に飛躍する為に海外で修業の道を選んだ。
とりあえず単身で頑張って、半年ほどして生活が慣れたら
奥さんを呼ぶそうだ。

大分前からの計画でやっとビザがおりたけど、
忙しくて英語の勉強があまり出来なかったと
2日の火曜日に挨拶に来た時に照れていた彼。
彼女には内緒だけど、アンタ英語苦手だったもんね(笑)。

最低でも3年、出来れば5年以上はロンドンで
経験を積みたいと話す彼に、恥ずかしげもなく
素人の手作りの料理を出す私(笑)。

こんな料理で育っても、立派な料理人になってくれたね、
有難う。
イギリスは料理が不味いそうだから、おばさんの料理でも
いつか美味しかった記憶にすり替えられる事を本気で願うわ。

そして、出発の前日に送られてきたメール。
顔を合わせるとお互い照れもあるし、そばにいる彼女にも遠慮があるが、
メールなら言いたいことが言える。

          A

大丈夫、心配しないで。おばさんは1日200円貯金するから(笑)。
なんとか行けます(多分…?)

そして翌日、春の青空を真っ直ぐに切って進む飛行機雲を、
甥がこれから元気でやっていけるよう思いながら見てました。

          

          B_2

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       いつもコメントありがとうございます。
       ご返事はそちらに伺ってますが、URLのない方は
       こちらでご返事させてもらってます。
       おばさんゆえ?ご返事は遅い事も。ご容赦くださいね。

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