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2007年3月 8日 (木)

時は流れ

今はもう亡くなっている私の母、
女学校は戦前の横浜で過ごした。
制服でない学校だったので着物で市電通学。

当然、外の学校の生徒も乗り合わせていて、
帰宅するとなにやら袖が重い…。
見てみると、誰かが市電の中で忍ばせた付け文(ラヴレター)!

あの時代の女学生だから、それをキチンと母親に
渡したそうだ(もったいない、私なら速攻で見る)。

2007381_1

すると母親(祖母)はそれらを皆処分したそうだ。

ほんとにもったいない話だ、バチが当たるわ。
その頃の母は写真で見ると
確かに背も高く、結構みられた。  その頃はね。

やがて父と結婚し
(よくあるタイプの)子供を生む度に太っていき…

太っていき…

太っていき…

たまに付け文の事を思い出すと「惜しいことした~」と
残念がったが、

2007382_1 
学生達の身で考えてみれば、
これでよかったんだと娘の私でさえ思う。

神さま、いい子にしてますから(って、幾つだっ)
母みたいにミラクルチェンジさせないでください。


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「家族」カテゴリの記事

コメント

ぉぉぉ~着物時代には そんなロマンスがあったのですね~。
そのお手紙を読んでたら また違った人生があったかも~~と妄想できるのが幸せなのかも知れないです。
ぁぁ わたしの袂にも誰か おひねりでも入れてくれないかしら(笑)

若い頃はわたしも細っこい娘でして 熊のように太った伯母から「Mちゃんはアタシが若い頃にそっくり」とよく言われていたのが恐怖でした。
ぃや しっかりDNAを受け継いでますが(--;)痩せなきゃ・・・。本当にミラクルチェンジですよ;;

投稿: M | 2007年3月 9日 (金) 11時48分

ねぇ、マロンチクチクでしょ(クレヨンしんちゃんかっ!)。
でもほんとに母はバチが当たって?変化(へんげ)したので
父が気の毒でした。
私は父似で平凡な顔立ちなので、今のところ
別人のようにはなってません。

投稿: バルおばさん | 2007年3月 9日 (金) 16時11分

私も今となっちゃ(昔もですが)恋文よりおひねりの方が嬉しいっす♪
いつも袂に入ってるのは、使った懐紙の丸まったのとか、手拭いとか(爆)

投稿: sakae | 2007年3月 9日 (金) 16時38分

>sakaeさま
私も袂にはハナをかんだ紙とかです(うっへ~)。
携帯なんかなかった頃は恋も
ゆったりしてたんでしょうね。

投稿: バルおばさん | 2007年3月 9日 (金) 18時12分

こんにちは。バル母様と同じくらい清純派のよよよです。
いくらでも付け文が入れられるよう、振袖の大きさを5割増にしてチャンスを待ちたいと思います。
夢は、付け文の重みで袖をひきずって歩くことです。
晴れ着姿のおばはんが、でっかい振袖(←何も入っていない)をブランプラン振り回しながら歩いていたら、それは私です。

投稿: よよよ姐サン | 2007年3月 9日 (金) 19時47分

私は自転車通学だったので残念ながら・・・
下駄箱も蓋ないし、靴もラブレター入れれるような環境になかった。
とても残念です。

投稿: うどん | 2007年3月 9日 (金) 21時27分

>よよよ姐サンさま
振袖は面倒だからフード付きのパーカーなんかどうでしょう?
後ろのフードにどんどん付け文が入れられ、
後ろにそっくり返って歩くなんて
威風堂々として、かなりgoodなもんですよ。

投稿: バルおばさん | 2007年3月 9日 (金) 22時36分

>うどんさま
あ~、それは残念でしたね、市電に乗ってさえいれば
ばっちり付け文もらえたのに。
お好きなガーデニングで余ったプランターに
「付け文はこの中に」と書いて
外に置いといたらどうでしょうか。

投稿: バルおばさん | 2007年3月 9日 (金) 22時42分

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